神を信じる国なのに、なぜ貧しい人は抑圧されたままなのか
フィリピンは信仰(しんこう)と霊性(れいせい)が深(ふか)い国(くに)として知(し)られていますが、貧困(ひんこん)と不正義(ふせいぎ)は今(いま)も続(つづ)いています。
信仰(しんこう)は多(おお)いが、正義(せいぎ)は少(すく)ない
フィリピンは世界(せかい)でも有数(ゆうすう)の宗教的(しゅうきょうてき)な国(くに)です。 日曜日(にちようび)には教会(きょうかい)が満(み)ち、祈(いの)りは日常(にちじょう)の一部(いちぶ)です。
しかし同時(どうじ)に、多(おお)くの人々(ひとびと)が貧困(ひんこん)の中(なか)で暮(く)らしています。
慰(なぐさ)めとしての信仰(しんこう)と責任(せきにん)としての信仰
信仰(しんこう)は苦(くる)しみの中(なか)で人(ひと)を支(ささ)えます。
しかし、行動(こうどう)を伴(ともな)わない信仰(しんこう)は、不正義(ふせいぎ)を変(か)える力(ちから)を持(も)ちません。
個人(こじん)の救(すく)いに集中(しゅうちゅう)する宗教(しゅうきょう)
多(おお)くの場合(ばあい)、宗教(しゅうきょう)は個人(こじん)の救済(きゅうさい)に重点(じゅうてん)を置(お)きます。
その結果(けっか)、社会的(しゃかいてき)な不正(ふせい)が見過(みす)ごされます。
解決(かいけつ)されない苦(くる)しみの霊化(れいか)
苦難(くなん)は信仰(しんこう)の試(ため)しと説明(せつめい)されがちです。
しかし原因(げんいん)を解決(かいけつ)しなければ、苦(くる)しみは続(つづ)きます。
沈黙(ちんもく)の道徳的(どうとくてき)代償(だいしょう)
不正(ふせい)を知(し)りながら沈黙(ちんもく)することは、不正(ふせい)を強(つよ)めます。
沈黙(ちんもく)はやがて共犯(きょうはん)になります。
霊性(れいせい)と正義(せいぎ)を再(ふたた)び結(むす)ぶ
問題(もんだい)は信仰(しんこう)ではなく、その使(つか)い方(かた)です。
信仰(しんこう)は思(おも)いやりと責任(せきにん)と結(むす)びつく必要(ひつよう)があります。
信仰(しんこう)と責任(せきにん)は共(とも)に歩(ある)く
神(かみ)を信(しん)じることだけでは正義(せいぎ)は生(う)まれません。
行動(こうどう)と勇気(ゆうき)を伴(ともな)う信仰(しんこう)こそが社会(しゃかい)を変(か)えます。
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